闘う労働運動を職場からつくりだそう!

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福島県知事選にあたって訴えます

福島県知事選に対するNAZEN福島の声明を掲載します

「オール福島」に対して、ふくしま共同診療所を軸にした〈避難・保養・医療〉の原則と、たたかう労働組合の建設でたたかおう!

 本日10月9日告示、10月26日投票の福島県知事選は、「オール福島」の名のもとの福島圧殺・切り捨て攻撃との闘いです。安倍政権とそれに屈した既成の全党派・勢力によるこの攻撃は、「フクシマの怒り」を絶望と失望、敗北主義で粉砕しようというものです。「よりましな」誰かを選択するということではなく、「福島の怒りで安倍政権を打倒しよう!」が私たち福島県民の回答です。私たちNAZENフクシマは、この福島の怒りで、動労水戸をはじめとしたたたかう労働組合と、〈避難・保養・医療〉の原則をかかげるふくしま共同診療所を拠点とした生き抜く団結をつくり、10・16郡山国鉄集会-11・2労働者集会への大結集を訴えます。

 安倍政権は、福島の怒りの沸騰に恐れおののいています。福島県知事選では、自民党独自候補を下ろし、民主、社民、連合との相乗りで、「オールふくしま」を掲げる内堀前副知事を推薦しています。内堀候補こそ中間貯蔵施設を受け入れて引退した佐藤前知事の後継者指名を受けた人物であり福島切り捨ての張本人です。
 
 一方、日本共産党もまた独自候補の擁立をせず、「脱原発=代替エネルギー」を掲げる熊坂候補に相乗りし、「オール福島」を標榜しています。医師で、「甲状腺外来も経験」を押し出し、被曝問題を取り上げるようなポーズを取りながら、小児甲状腺がん多発には一言も言及せず、「福島の復興なくして日本の復興はない」を掲げる熊坂候補は、復興のためには「最小限」の被曝を受け入れろということが本音です。政策説明会で、県立医大やIAEAとの連携を表明したことにも明らかです。だからこそ「被曝など気にしないで生活しよう」と医大を支持する民医連が牛耳る日本共産党が、「オール福島」を声高に叫んで推薦を決定したのです。安倍と日本共産党は、県民にどちらの圧殺者が良いかを選択しろと言っているに等しいのです。実に醜悪で許し難いことです。

 これに対し、井戸川元双葉町長が「避難の権利と全面的補償、帰町運動絶対反対、政府と県、医大の被曝隠し弾劾」を掲げて立候補しています。被曝からの避難、移住は労働者人民の当然の権利であり、政府と東電は無条件に補償するべきです。しかし、それは200万県民、13万避難民と全国の労働者人民が団結し、闘う労働組合を軸とした主体的決起ではじめて実現できる闘いであり、「命より金」の社会=新自由主義を打倒する闘いです。現実の格闘を抜きにして、県知事選の政策としてのみ掲げることは真に階級的団結の道とは言えません。

 福島の人々は3・11直後から、原発事故と被曝の現実と必死に格闘してきました。避難すべきことははっきりしているが生活のために離れられない現実、道一本で避難か否かを分けるようなすさまじい分断の現実があります。現在も県内外13万人の避難者、県外に避難した子どもたちは1万人以上、被曝の恐怖と不安、未来を奪われた生活で震災関連死は1700人を越えています。そして、小児甲状腺がんが103人、100万人に1人のはずなのに3000人に1人が発症し、6000人に1人がリンパ節転移など切除手術が必要なほどの状態にもかかわらず、「放射線の影響ではない」がくり返されています。

 環境省「東電福島第1原発事故に伴う住民の健康管理に関する専門家会議」(長滝重信座長)第4回会合(14・3・26)では、「年間1㍉シーベルト以上の場所にすんでいる人たちへの健診や補償を確約することが、この委員会がめざすべきものではないのか?」との崎山比早子さんの追及に、長滝座長は「今は1㍉シーベルトとかいう観念的な議論をしているのではない」と反論、ICRP委員でもある丹羽委員は「両親が離婚しても避けなくてはいけないほどのリスクなのか、というようなことをわれわれは議論しているのだ」と言い放っています。つまり、「政府が補償したらウクライナのように国家がつぶれてしまう。だから私が来た」と公言してはばからなかった山下俊一のように、政府は福島の被曝と健康被害を隠ぺいし、切り捨てようとしているのです。 

 だからこそ、私たちは全国の医師とともに診療所建設運動を起こし、ふくしま共同診療所を実現し、県立医大と対決しています。すでに1000人を越える甲状腺エコー検査受診者があり、子どもたちの未来と命を守る拠り所となっています。さらに、保養活動は医療と連携し、健康と命を守る重要な活動であり、また県内外の団結で生き抜く闘いでもあります。ふくしま共同診療所はこのような共同の闘いの中で、〈避難・保養・医療〉の原則を確立しました。「被曝ゼロ」を大原則として避難を薦めるとともに、福島の地で生きざるを得ない人たち、避難で困難を強いられている人たちとともに生きる医療をつくっていこうとするものです。

 そして、動労水戸の被ばく労働拒否の闘い、常磐線竜田延伸阻止の闘いは、闘う労働組合こそがあらゆる分断を打ち砕き、すべての労働者人民の団結を取りもどし、生活と未来を守る拠点となることを実践で示しています。9・11JR郡山総合車両センター包囲闘争は、外注化反対を真正面から掲げ、福島圧殺攻撃を職場生産点から打ち砕く闘いとして大成功をかちとりました。福島の怒りと安倍政権-葛西JR体制打倒の国鉄決戦を一つのものに押し上げました。外注化=多重下請け構造のもたらした究極の姿を福島原発事故という形で目の当たりにした私たち労働者人民は、外注化阻止の具体的な闘いのなかに労働者人民の未来を見ることができます。原発労働者が労働組合を作り団結して闘うなかにしか日本と世界の労働者人民の未来は絶対に展望できません。

 今、福島の怒りが為すべきことは、原発再稼働、原発輸出、そして戦争までやろうとしている安倍政権をうち倒すことです。県知事選で誰に私たちの未来を奪われるのかを選択するのではなく、人間としての根源的な怒りを解き放ち、団結して立ち上がるときです。「復興」一辺倒の「オール福島」のもとに階級性を解体し、資本主義・新自由主義の延命をはかろうといういっさいの動きに私たちは反対しなくてはなりません。告示直前まで行われた「候補者1本化」策動などの考え方そのものを粉砕し、激しい分岐を促進していくことこそが労働者人民の生きる道です。福島の怒りをとことん解き放ちましょう! 安倍政権打倒へ立ち上がりましょう!
                             2014年10月9日

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福島からの訴え!(75)

※3・11反原発福島行動14の発言から

動労水戸 羽部圭介さん

 水戸駅と郡山駅をつなぐJR水郡線の運転士をしています。鉄道というのは今まで戦争や災害とかいろいろな歴史の中で、列車が走る姿を見て僕たち鉄道員も地域のみなさんも希望を持つ、そういう力を持っていると私は思っています。
 しかし、ポケモントレインの水郡線と常磐線・いわき〜広野間での運行は違います。原発も収まっていない中で、明らかに竜田駅への延伸に向けて、その地域への帰還に向けてのデモンストレーションです。非常に憤りを覚えました。ポケモントレインを楽しみにしていた子どもたちは乗せてあげたい。でも危ないから乗せたくない。本当に葛藤しました。でもやっぱりおかしい。原発に向かっていくポケモントレイン、それはないです。
 組合としてこの間の運動で、地域のみなさんとのつながり、僕たち組合員一人ひとりが放射能に対して今一度考えるよい機会になりました。
 最近、世の中が放射能に悪い意味で慣れてきているように感じる。町中にモニタリングポストがあるのが当たり前になってしまっている。これは非常に危険なことです。目に見えない放射能を相手にするには相当な覚悟を持って運動していかなければいけないなと考えています。先の長い長い闘いになります。ともに頑張りましょう。

福島からの訴え!(74)

※3・11反原発福島行動14の発言から

福島大学の学生

 福島大学で原発反対を叫ぶことは容易なことではありません。これまでに何度か教授から呼び出しを受け、「過激派団体と付き合うのをやめろ」と言われました。大学から両親へ「過激派とのつながりを切るように説得してほしい」という連絡をしてきたこともありました。福大当局や教授は、口では「原発反対」を語りながらも、学生が主体的に原発反対を訴え行動することを阻止したいと思っているのです。
 福大当局は反原発の企画のための教室貸し出しの申請をすべて不許可にし、「反原発をかたった過激派団体の勧誘に注意」という看板を大学構内に設置しました。副学長も務めた清水修二が学生弾圧に積極的に加担してきました。彼は現在、県民健康管理調査検討委員会の副座長として放射能の安全キャンペーンを進めています。大学教授が学生を弾圧し、国の原発推進政策に加担することは本当に許せません。
 学生が団結して立ち上がり、大学を変えていくために闘うことが求められています。一人ひとりの力は小さくても、それは団結することでとても大きなものになります。「大学の主人公は学生だ。学生は当局や教授の言いなりではない」と信じ、大学と社会を変えるために闘いましょう。


福島からの訴え!(73)

※3・11反原発福島行動14の発言から

福島診療所建設委員会 佐藤幸子さん

 みなさんの温かい募金で「希望の診療所」が開院して1年以上たちました。お母さんたちがどれほど救われたかわかりません。A2判定のお母さんの友達がいます。「2年待つことはできない」と診療所で診ていただいたら、すでにB判定になっていた。そういうことを認めてくれる診療所があるからようやく生きていけるという現実です。
 甲状腺がんが疑いも含めて74人。このことをマスコミが報道しない。県外で講演するたびに毎回「福島の子どもの甲状腺がんが何人か知っている方は手を挙げてください」と聞きます。原発や放射能にかなり危機感を持ってらっしゃる方でも、マスコミから情報を得たという人は一人もいません。友達から聞いた、ネットで見たという人が2〜3人。こんなことは許されません。
 その声を上げるため、福島の現地にいるお母さんたちも、顔を出して名前も出して取材を受けるという覚悟を決めました。これからこの現実を日本に世界に発信していかなければいけないと覚悟しています。
 私たちは「子どもを守りたい」という一心でふくしま共同診療所を立ち上げました。誹謗(ひぼう)中傷もたくさんありました。東電、国に逆らう診療所だからつぶしたい。そんな力に負けることはできません。みなさんのお力が必要です。どうぞお願いします。

福島からの訴え!(72)

※3・11反原発福島行動14の発言から

ふくしま共同診療所医師 布施幸彦さん

 多大な募金をありがとうございます。そのおかげで一昨年12月に開院してもう1年たちます。僕ら診療所の医師は、全国に福島の現状の話をしに行きますので、ぜひ講演を設定してほしい。
 今福島では33人が小児甲状腺がん、疑いも含めれば74人です。一般的に小児甲状腺がんは100万人から10万人に1人と言われますが、福島では約7千人に1人、異常に多い。しかし県も国も「放射能の影響はない」と明言しています。
 甲状腺エコー検査で5・2㍉ののう胞があった子どもから甲状腺がんが出ている。しかし超音波の計測器とは、ある時は5・5、ある時は4・8というようなものです。そんなことで5・0㍉だった子どもは見捨てられて「次の検査は2年後」とされます。僕らの診療所では、ちょっとでも疑わしければ3カ月後や半年後に検査してフォローしようとしています。そうすれば確実に早期甲状腺がんを見つけることは可能です。
 福島の子どもだけの問題ではありません。東日本を始め多くの地域で起こっていることです。東日本にいた子どもたちにも小児甲状腺がんは出る可能性があります。だから子どもだけでなく大人も定期検診をちゃんと受けてください。うちの診療所に来てください。よろしくお願いします。

福島からの訴え!(71)

※3・11反原発福島行動14の発言です。

福島出身の高校生

 私は名前も知らない人に泣きながら謝られました。「私たちのせいで関係のないあなたたち福島の子どもが苦しむことになってごめんなさい」。私は何も声をかけることができませんでした。
 つらくなかったと言えばうそになります。福島に残るということは、将来、病気になる確率が高くなり、結婚して子どもを産むことに抵抗を覚え、子どもを産めば、その子どもが苦しむかもしれない。子どもに対して罪悪感と後悔にさいなまれるかもしれません。
 私は原発が爆発した次の日には山形にいました。原発が爆発したとニュースを聞いた後、外に出た時、寒気がし、鳥肌が立ちました。その時からうすうす気がついていたのかもしれません。もう元の福島はないと。
 原発の危険性がわかっていながら知らんぷりをする罪は、直接かかわっている人と同じくらい、もしくはそれ以上の重い罪だと思います。今が楽しければ未来が真っ暗でもいい、そんな逃げるような考えをしていた私を私は絶対に許しません。私は自分の健康を守ります。そして次の命も産まれ健康であるために、今の私が健康でなければなりません。私の罪は2世、3世を守ることによって償います。福島を支えて闘ってくれている方たち、本当にありがとうございます。

福島からの訴え!(70)

※3・11反原発福島行動14の発言です。

3・11反原発福島行動14実行委員会 椎名千恵子さん

 3年目の3・11です。8・6広島、8・9長崎のように3・11を反原発福島行動の日として行動した、その歴史的な意義をしっかり確かめたい。
 この国の政府は本当に許し難い。「直接の原因は配管の弁が開いていたことだ。その人物特定の調査をする」と命を張って被曝労働をしている労働者たちに責任を転嫁しようなんて許せません!
 74人の小児甲状腺がんも「原発事故の影響ではない」と言い切ります。田村市都路の避難指示解除もしかりです。賠償を早く打ち切りたいと、甲状腺がんの負担を背負う子どもたちの首に線量バッジをぶらさげさせて、避難先から高濃度の放射能地域へ通学させる、こんなこと許せますか。関連死とは国と東電による虐殺です。国も東電もますます福島切り捨ての道を猛進しています。
 この中での今年の3・11です。原発はいらないという思いだけでは足りません。こんな国のあり方そのものを変えるという地平を開きましょう。きょうを、生き残りをかけた闘いに立つという覚悟を決める日にしましょう。世界中で立ち上がる99%の人びとと一体になって、誰もが人間らしく生きられる世の中を求めて闘い続けましょう。

福島からの訴え!(69)

※3・11反原発福島行動14の発言です。

浪江町・希望の牧場 吉沢正巳代表 

 原発から直線14㌔地点の希望の牧場です。原発の爆発音を聞いてしまいました。そして原発から噴き上げるあの真っ白い噴煙だって見てしまいました。350頭の牛が今も生きています。僕は被曝を覚悟しながら、今も売れない牛を飼い続けています。この全頭の牛が命尽きるまで運命をともにします。
 この3年で浪江町の避難者が300人以上亡くなった。40年にわたって首都圏の電気を支えてきた双葉郡が捨てられようとしている。牛の殺処分指示は棄畜政策、仮設住宅の実態は半強制的な収容所、僕たちにかけられているのは棄民政策だ。東電と国と、人生をかけて闘うしかない。
 除染? ふざけるな。除染なんかしたって浪江で米づくりはできない。僕らは未来をつぶされた。この無念、空しさ、怒りをもって、残り人生を生きていくしかない。仮設住宅で人生終わってしまうのか。立ち上がって、この原発の時代をのりこえる国民の壮大な、深い連帯、広い連帯、今がその時だ。立ち上がろう。決死、救命、団結。広い連帯をつくろう。
 きょうは希望の牧場の赤い牛のみこしを持ってきました。芸術作品です。デモ行進でみんなで牛を担いでもらいます。渦巻きデモをやるぞ!

福島からの訴え!(68)

3・11反原発福島行動14の発言です。

国労郡山工場支部 橋本光一さん

 国労郡山工場支部は原発事故以来、JR会社に放射能対策を求める運動をしてきました。工場に入場した車両よりも、検査・修繕が終わって出ていく車両のほうが放射線量が高い。工場の放射線を含んだ粉じんが電車の屋根に降り積もって電車の線量が上がっている。私たち労働者は工場内にまき散らされている粉じんを吸引して内部被曝させられています。
 原発事故時に約20㌔地点で被曝した車両4両が昨年7月に検査・修繕のために入場しました。職場全体で反対運動をつくり、現場長に連日「説明会をやれ。線量を測れ。内部被曝対策を行え」と追及して、当局に防護服とマスク、ゴーグルなど原発作業員と同様の防具を準備させました。青年を被曝車両作業から除外させた職場もあります。夏の暑い時期に完全防備で作業するのは大変でしたが、みんな重装備での作業をやりぬきました。
 原発事故から3年。家族と一緒に県外に避難して「毎日新幹線通勤で大変だ」と言う人。「子どもも親戚も家にも墓参りにもなかなか来なくなった」と嘆く人。それぞれの考えや事情を抱えてみんな、必死で生きぬいています。それをまとめて一つにする力が労働組合にある。国労郡山工場支部は福島県と郡山の反原発運動を一本にまとめるため全力で頑張ります。

福島からの訴え!(67)

福島県から金曜首相官邸前行動参加した年配の女性

 福島から出て来るには時間がかかります。やっと来られました。福島ではどんな思いで新しい年を迎えたか、どんなに悲しい思いで、どんなに悔しい思いで、どんなに恐ろしい思いで今、生活しているか。みなさんにはおわかりいただけますでしょうか。
 原発の事故現場はまだ収束していません。首相は「汚染水はコントロールされている」と言いました。何がコントロールされているでしょうか。私は明日、命を落とすかもしれません。福島では今、本当に病人が多くなっています。仮説住宅の状態をご存知でしょうか。一人4畳半、トイレ・お風呂付。でもお風呂は寒空の中で、入った時は熱くても、お湯が冷たくなり、寒くて出れなくなるんです。
 私たちの浪江町と、小高町との境に東北電力が原発を建てる計画でした。でも建てさせなかったんです。福島県民は賠償金をもらって、仕事もしないで遊んでられるだろうと言われます。そんなことはありません。節約して、お金を貯めてまたみなさんに訴えに参ります。

福島からの訴え!(66)

福島県双葉町から避難している女性

 私が今一番頭にきていることは、安倍総理は何を言ったでしょうか。安倍総理、言いましたよね。福島第一原発は国が責任をもって収束しますと言ってましたよね。何ひとつやってくれないじゃないですか。大臣や総理大臣はうそばっかりついているのですよ、皆さん。私たちは双葉町に帰れません。こんなひどい目に遭っているのになんで輸出するのですか。原発は絶対に許してはいけませんからね。

福島からの訴え!(65)

福島県二本松市から来た男性

 私の住む二本松市には過酷な仮設住宅での暮らしを強いられている浪江町の人が大勢いらっしゃいます。原発事故が残したものはあまりにも悲惨です。原発を再稼働したり、輸出したりするのはとんでもないことです。一刻も早く原発ゼロを宣言して、子どもたちの時代を守ってください!

福島からの訴え!(64)

福島県いわき市から反原発官邸前行動に参加した女子高校生

 私は“みどり色”に嫌悪感を抱きます。みどりの葉、みどりの木――『この色には放射性物質が付着している。危険だ!』。そういう意識が福島県から離れたところにあるどんなに美しい自然を見ても潜在的に働いてしまうのです。私の妹は保養で北海道に行った際、雨の中、傘もささずにこう叫びました。『やった! 雨に当たれる。奇麗な雨だ!』と。
 夜中に地震が起きた際、福島第一原発に何か起きていないかと案じ、眠れなくなります。私はこんな思いはもう二度と誰にもしてほしくない。そんな気持や世論をよそに、今の政権は信じ難いことをたくさんやろうとしています。秘密保護法案の早期成立、原発の再稼働。秘密保護法が成立してしまったら、ここにいる命を削って活動していらっしゃる方々がまず弾圧されるでしょう。でも、私は何があっても国家のこのような蛮行に屈したくありません。
 私は韓国で、ある方にこう言われました。『原発事故によって、あなたは大変な経験をしている。でもあなたには“核廃絶”を訴えて実現させる可能性がある。だから自分のする活動に自信を持って』と。日本人には“核廃絶”を実現する可能性があると、私は信じています。国がいかに国民を監視し、規制をしても、私たちの思想そのものを変えることはできません。私も皆さんのように強い意志を持って巨大な権力に立ち向かい続けたいと思います!

福島からの訴え!(63)

農業者 渡辺ミヨ子さん

 私は福島第一原発から25㌔くらいの所に住んでいました。今は小学5年生の孫と私たち夫婦の3人で田村市内の西側に住んでいます。
 子育て中のころ大熊町に福島第一原発が造られました。周りの人たちがたくさん働きに行きました。私は広島に落とされたあの恐ろしい原爆のことが頭をよぎりましたが、周りのほとんどの人たちが聞いてもいないのに「絶対安全だ」「事故は起きない」「ここには大きな地震は来ない」と口々に言っていました。そして原発のおかげで生活が豊かになったように思い込んでいました。
 あの3月11日の大きな地震のあと原発が4基も爆発して、広島に落とされた爆弾の何百倍もの放射能が飛び散ってしまいました。生まれ育った時から私たちを守ってくれた豊かな自然は、すべて放射能という死の灰で汚されてしまったのです。「安心・安全」という真っ赤なうそと少しばかりの豊かさに踊らされていた自分を悔やみ、未来を生きる子どもたちの空気を思い、流れる涙を抑えられませんでした。
 国は初めから「安心・安全」キャンペーンをやる一方で、福島医大には膨大な予算が充てられました。復興予算、除染費用。毎日、新聞やテレビのニュースでは福島県に充てられる予算の数字が大きな文字で映されていました。今、県内各地に大手企業が入り、除染が行われています。水で洗い、土をはぎ、草木を倒して袋に詰め込むだけで地域が元に戻るわけがありません。雨が降れば大地の放射能は川へ海へ流れるのです。汚染水のタンクが、汚染物の詰まった袋が所狭しと増えるばかりです。30㌔圏内の私たちの地域では山菜から1万何千ベクレルというセシウムが検出されましたが、帰っている年輩の人たちは知らずにそれを食べてしまうのです。福島で起きていることの真実を隠したいと考える人たちの強い力があるように思えてなりません。
 先日、総理大臣が、わが国の世界一の技術の原発を外国へ輸出すると言っていました。福島の原発が世界一の技術であるならば世界中の原発は今すぐ止めなければいけないでしょう。なぜどの国よりも放射能の恐ろしさを体験済みの日本が外国へ輸出することが許されるのか。経済成長戦略にとらわれすぎて道を誤ってはいけないでしょう。
 原発のごみと国の大きな借金で未来の日本が苦しむことがないように、今考えを新たにするときではないでしょうか。勇気を持って真実を明かし、福島の真実を語り、世界中の英知を結集し、福島を日本を母なる地球を守っていきましょう。

福島からの訴え!(62)

※3・11反原発福島行動の発言から

動労水戸平支部 国分勝之さん

 みなさん、悔しいですね! どうして働く労働者が放射能におびえ、子どもの健康の心配をして生きなければいけないのか。誰がこんなふうにしたんだ。2年間、ずっとそう感じてきました。
 私たち動労水戸は、JRに対して幾度もストライキで闘ってきました。会社は常磐線の運転を原発の近くまで再開させました。「警戒区域が解除されれば安全だ」と言う国や行政のお先棒を担いで、JRが運転を再開する。それは私たち乗務員や検修労働者にも放射能を浴びて労働しろということです。
 労働組合としてそんなことは許せない、若い労働者に被曝労働をさせないと闘ってきました。そうした中で、動労水戸に青年労働者が加わりました。労働者はこういう時だからこそ労働組合をつくって、闘って生きることができるんです。
 動労水戸は昨年1月、いわき市に平支部事務所を開設し、今年の2月23日にはいわき合同ユニオンを立ち上げました。これからJRだけではなく、地域の労働者とともに闘っていきます。

福島からの訴え!(61)

※3・11反原発福島行動の発言から

全国農民会議共同代表 鈴木光一郎さん
  本宮市で酪農を営んでいる農民です。3・11から今日までのさまざまな問題を突破して、農民の夜明けと未来をかけて、みなさんとともに闘う組織「全国農民会議」を結成しました。私たちは反TPP(環太平洋経済連携協定)、反原発、そして何より三里塚と連帯して、みなさんとともに頑張っていく覚悟です。
 福島第一原発は収束などとはとても言えない非常に困難な状況にあります。原発大災害は本当に恐ろしい。避難者は15万人にも及び、県外避難者は5万人を超えています。この人びとのことを思うとき、あきらめや風化ということを希望に変えるためには、闘うしかないということです。
 原発・TPP・三里塚――そこから見えてくるものは、まったくずさんな国策の破綻です。まさに資本主義は最終段階を迎えています。私たち人民が声を上げ抜いていくことが必要です。
 3月24日、三里塚で市東さんの農地を守るために決起します。全国のみなさん、私たちとともに闘いましょう。全国農民会議はこれからです。若い人たちの大結集を呼びかけます。

福島からの訴え!(60)  

※3・11反原発福島行動の発言から

●福島大学の学生

 原発事故の後、私は原発に対して無関心であったことを悔やみました。しかし、後悔していても原発は止まりません。私は福島で生きる学生として、原発反対の声を上げていこうと考えました。
 安倍政権が進めようとしている原発再稼働、新規建設、海外輸出……事故を経験した者として許すことはできません。
 御用学者にも責任があります。放射能安全神話を振りまく福島医大の山下俊一や、事故の責任をあいまいにしようとする福島大学の清水修二。彼らには福島の怒りがわからないのでしょうか。
 3月11日は福島から声を上げる日。この福島の地から原発はいらないと発信していきましょう。



●浪江町から避難中の高校生

 震災当時14歳だった私は、浪江町から避難し、今は二本松市にいます。昨年9月に一時帰宅で帰りました。僕が活動している理由のひとつは「僕らで最後にしたい」という思いです。あの町の現実をほかにもつくってしまうのはあまりにも残酷すぎます。僕たちは生き証人です。原発の被害を受けて生きてきた記憶を持つ生き証人として、これからも活動していきます。



●福島市の大学生

 私は今怒っていることがあってこの壇上に立っています。「原発はクリーンなエネルギーだ」と教えられてきました。「火力発電は木を切ってしまう」と。しかし、木を守って私たちが得たのはなんだったのでしょうか。木どころか土地もなく、私たちは今困っています。ずっとだまし続けてきた人たちに怒りを感じます。震災後の東電の対応、ネット上での福島の人への中傷が許せません。こんな現実をつくったのは、震災後の政府の対応のせいです。私はもう原発はいりません。

福島からの訴え!(59)

※3・11反原発福島行動の発言から

福島診療所建設委員会 川俣町 佐藤幸子さん

 みなさん、2年目の3・11福島の地においでくださいましてありがとうございます。
 みなさんの募金を寄せていただいて、ふくしま共同診療所を開院することができました。子どもたちの希望の診療所です。本当にうれしく思います。新聞にも「募金診療所」などと何回も報道してもらいました。そうした報道を見た時、本当にうれしく思いました。
 それまで何を言われてきたか。私が呼びかけ人として診療所建設を訴えている姿を応援してくれる人ばかりではありませんでした。福島に必要な診療所をつくろうとして協力してくれる人たちに対して、被災地に心を寄せているならそんなことは言えないだろうというようなことまで言われました。でもそれに負けずに、昨年12月についに診療所を開院できたんです。
 私は川俣町で「やまなみ農場」という名前で農業をしていたんですが、3・11原発事故で閉鎖せざるを得ませんでした。「ひとつできなくなった分、新しいことをひとつやろう。子どもたちを守っていこう」と思って、診療所建設の運動を始めました。そして希望の診療所が新しくできました。本当にうれしいことです。
 この福島が被曝地となってしまった今この時代だからこそ、夢が、希望がなければ私たち福島県民は生きていけません。その希望となる診療所を、これからもみなさん、どうぞよろしくお願いします。

福島からの訴え!(58)

※3・11反原発福島行動の発言から

国労郡山工場支部 橋本光一さん 

 2年前の震災直後、私は組合事務所から組合員全員に電話で安否を確認し、食料や日用品の供出を募って仙台まで支援物資を運びました。全組合員が協力してやり抜きました。そこには政党や派閥など関係なく、あったのはお互いを思いやる気持ちとみんなで支え合って生き延びようという団結でした。昨年3・11郡山集会の時もそうでした。その気持ちは今でも変わっていません。
 今日も「過激派の集会だ」なんて変な宣伝がされていますが、本気の闘いを恐れる人たちは、いつの時代もそうやって妨害してくるものです。しかし国労郡山工場支部は本気で闘う人たちですから、支部として団体賛同を決めました。
 労働組合の役割が問われています。原発を動かしているのも、今福島第一原発で決死の覚悟で収束作業にあたっているのもすべて労働者です。原発労働者が団結して闘う労働組合をつくりストを構えて闘う、そういう情勢をつくることがわれわれ労働組合の使命です。
 原発のない社会をつくるため、労働組合が先頭で闘います。私たちは絶対にあきらめない。絶対負けない。労働者や市民の人間的団結で希望ある未来を絶対につかもう。

福島からの訴え!(57)

※3・11反原発福島行動の発言から

希望の牧場代表・浪江町 吉沢正巳さん

 僕の牧場は福島第一原発から直線で14㌔。浪江町は放射能で全町民が追い出されました。
 浪江町は長い間の反対運動で原発建設を食い止めてきた。その浪江町に放射能が流れて来てしまった。東京電力は情報をよこさず握りつぶした。国は3月11日夜に大熊町、富岡町、双葉町のバスの手配をしたが、浪江町にはいっさいそういうことをしなかった。
 浪江町の水源地である大柿ダムは放射能で真っ赤に汚染されているし、浪江町ではもう二度と米づくりなんかありえないだろう。誰のせいだ!
 僕の牧場には今も350頭の牛が生きている。立ち入り禁止区域で10軒の農家が、国の殺処分指示に従わずに700頭の牛の面倒を見ています。
 70軒の酪農家と400軒の和牛農家が牛を見捨てて逃げざるを得ず、「牛に申し訳ない」と避難所で泣いていた。でもその避難は正しい選択だったと思います。そして僕たちだって自分たちの牛たちを捨てられない。これもまぎれもなく正しい選択のひとつだったと思う。もうこれは経済の問題ではなく、牛飼い農家の意地の問題として体を張って闘うしかない。
 今年こそ勝負の年だ。残りの人生かけて原発の時代をのりこえよう。原発再稼働に巻き込まれてなるものか。再稼働阻止へ体を張って闘う、広く深い連帯と実力が必要だ。それが再稼働の逆流をひっくり返す確かな力になるだろう。
 僕たちは原発の生きた証人だ。14㌔先の原発を見ながら僕は覚悟を決めた。頑張ろう!

福島からの訴え!(56)

※3・11反原発福島行動の発言から

3・11行動実行委員会 福島市 椎名千恵子さん

 2年目の「3・11」に福島で、「再稼働阻止! 未来のために立ち上がろう」と声を上げる行動をこれだけ多くの人とともに実現したことは、とても大きな意味を持っていると思います。8・6広島、8・9長崎、5・15沖縄、ここに3・11福島をけっしてはずしてはならない。福島では今も放射能が降っているんです。雨が降ろうがやりが降ろうが、平日であろうが寒かろうが、やっぱり3・11なんです。
 今もまだ原発から1時間あたり1千万ベクレルのセシウムが漏れ続けています。被曝を強いる者たちの責任を追及しましょう。あきらめてはいけない。福島原発事故をなかったことにさせてはいけない。3・11はこの原点に立ち戻る日です。
 すでに未来に向かって答えを出している中学生がいます。彼は保養活動のために古民家修復の作業をして「友達も連れてきて保養させたい」とはりきっています。この姿は希望そのものです。
 今日は同じような思いを持つ若者たちも登壇します。この世代とともに、今日は自分の思いをしっかりと表しましょう。叫びましょう。腹の底から思い切り怒って闘いましょう。福島から反原発の声をけっしてなくさない「3・11」にしましょう。

福島からの訴え!(55)

3・11反原発福島行動の発言から

陶芸家・伊達市 会田恵さん

 3・11反原発福島行動にこれだけたくさんの人においでいただいて、心から感謝いたします。
 9日は明治公園の「さようなら原発大集会」に1万5千人が参加、10日は全国150カ所で反原発の行動があり、日比谷野音の集会には4万人が参加しました。そして今日、3月11日にこの福島の地から声を上げることができるのは本当にうれしいことです。「もう原発はいらない」と一緒に声を上げてください。
 福島の事故が原発の安全神話を崩しました。まだ近寄ることもできない現状は、原発はとうてい人間の手に負えないことをはっきり示しました。
 先日、実行委員長の椎名さんと新聞社まわりをした時に、ロビーに張られた「八重の桜」の大きなポスターにはこう書かれていました。「ならぬものはならぬのです」--私はこの言葉こそ、今の政府に突きつけたいと思います。
 今日は日本中、世界中の人たちと思いをひとつにして、どんなに強い向かい風が吹いてこようとも迷わず前に進みましょう。「原発をなくすまで絶対にあきらめない」という小さくとも燃え続ける火種を私たち一人ひとりが胸の内に秘めて、「ならぬものはならぬ」と叫び続けましょう。

福島からの訴え!(54)

希望の牧場代表/浪江町 吉沢正巳さん

 原発事故で立ち入りが禁じられた警戒区域には「3・11」時点で約3500頭の牛がいた。避難命令で大半の農家が牛を見捨てて逃げるしかなかった。「餓死させるのはかわいそう」と野放しにした農家が結構いたけど、一時帰宅した人から「野良牛が迷惑」と苦情が出て、殺処分に同意せざるを得なかった。結局、約1500頭が牛舎につながれたまま餓死、約1400頭が殺処分、合わせて約3千頭が殺された。
 だけど今も浪江町や富岡町、大熊町、双葉町で約10軒の農家が抵抗して牛を生かしている。
 うちの牧場はもともと約330頭で和牛の肥育・繁殖をしていた。3・11後、栄養失調や事故で約150頭が死んだけど、ほかの農家に頼まれた牛を引き取り、自ら歩いてきた迷い牛を入れてやった。新しく生まれた牛もいて、今は約350頭。地上1㍍の空間線量は大体、毎時3マイクロシーベルト。ひどい場所は6~7マイクロシーベルトある。

 11年「3・11」当日夜にはもう原発がおかしくなっていたけれど、国や東電は浪江町に情報を一切提供しなかった。その中で12日朝、浪江町長が防災無線で「25㌔先の津島に逃げよう」と呼びかけた。請戸(うけど)港は津波の被害がひどくて助けを呼ぶ声もまだあったのに、見捨てて逃げざるを得なかった。約9千人が12~14日まで津島に避難したけれど、14日の3号機爆発で津島には大量の放射能が降りそそいだ。その日、おれはこの牛舎で原発が爆発した音を聞いたんだよ。
 15日に町民は総崩れとなって、今度は二本松市東和(とうわ)に避難した。その渦中もおれは二本松市と牧場を行き来して、検問所のおまわりと言い合って「牛は水を飲まなきゃ死んじゃう。だからおれは行く」と無理やり通ったんだ。
 だけどその15日に、大熊町にあったオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)が逃げ出してしまった。敵前逃亡だ。腰抜けの原子力安全・保安院は何もできなかったんだ。
 そして17日。牧場から第一原発を双眼鏡で見ていたら、ヘリコプターの放水でぶわっと白い水蒸気が上がった。放水作業をしている自衛隊員は何人か死ぬかもしれないと思ったよ。だけどこの危機を抑え込むために闘う心意気が必要だ。それで「東電に気合いを入れなきゃいけない」と思って、宣伝カーで東京に向けて出発した。その時にヘリコプターから見えるように牛舎の屋根と道路、タンクにスプレーで「決死救命を、団結!」と書いたんだよ。
 18日に東電本店に乗り込み、わあわあ泣きながら「牛が死んじまう」と東電の総務主任に訴えたよ。「自分たちがつくった原発が爆発したのに、なんでお前らは逃げちゃうんだ。今はとにかく命をかけても水をかけることが必要だ。おれならホースを持って原子炉建屋に飛び込んでいくよ。闘え」と。総務主任も泣き出しちゃった。気合いがちゃんと伝わって、来てよかったと思ったよ。
 それからは牛を放し飼いにして、餌を3日に1度運んだ。周りの牧場で牛が餓死していく地獄の光景を見て、「自分の牛舎ではそんなことはできない」と思った。警察がつくったバリケードを壊してのりこえたり、裏道から運んだり。警察に何回も連れて行かれて、始末書みたいなのも5~6枚書かされたけど、「自分の牛に餌を運ぶのがどうして犯罪なんだ」と。
 5月に政府が牛の殺処分を指示してからはなおさら「国の言いなりになんか絶対にならない」と思った。「野良牛にさせないため電気牧柵(ぼくさく)が必要だ」と交渉して、11年12月に電気を復旧させたのと同時に仮設住宅も引き払い、それから1年以上、警戒区域で暮らしている。
 役場や警察、オフサイトセンターとは日々やり合いを続けてきた。「殺処分・餓死はやめよう/希望の牛達を生かして」と書いた看板を出したら「目的外立ち入りだ。片付けないと立ち入り許可証を出さない」と言われた。「『マスコミの同行取材はさせない』ことに同意しろ」と求められたこともある。この国は報道の自由のひとかけらもない恐ろしい国だ。福島の真実を隠すのはすべて再稼働のための動きだ。
 おれ自身も被曝はしている。ホールボディ検査を15~16回やって、最高で6600ベクレルあった。だけどセシウムの排出を促す水を大量に飲んだりして、今はセシウム134も137も300ベクレルまで落ちたよ。

 浪江町は原発立地を許さなかった土地だ。1960年代から東北電力の浪江・小高原子力発電所建設計画があったけれど、住民の長い反対運動で建設を阻んできた。
 しかしその浪江町がチェルノブイリになってしまった。うちで作ったしいたけは4万ベクレルあった。東電に行った時に「お前らのせいだ。おみやげだ」と言って置いてきたよ。ここで作った米も野菜も山菜も、おれが生きている限り食えないだろう。
 多くの避難者が「津波の被害者を見殺しにしてしまった」と泣きながら悩んできたし、今もむなしさや絶望感を抱えている。いまだに墓石も倒れたままで、亡くなっても納骨もできない。家は傾き、床にはきのこが生えている。請戸港なんて木っ端みじんに粉砕されたままだ。町のアンケートに「生きている意味がない。死にたい」と書いた人もいるし、自殺する人も何人か出ている。
 おれは緊急避難の大混乱の中で逃げた人たちを非難するつもりはまったくない。だけどおれたちみたいに牛の世話を続けている農家もあっていいと思う。どの選択が正しいなんて決めつけることではないと思っている。
 東電による牛の補償は昨年度末で終わったからこの牛はもはや何の金にもならない。だけどおれは一生ベコ屋だ。残りの人生すべて、原発事故被害の生きた証拠である被曝牛を生かしながら放射能と闘い、国と東電と闘っていく。被曝の現実を忘れさせずに国や東電の責任を追及していく。
 希望の牧場のスローガンは「決死救命、団結!
 そして希望へ」。深い絶望の町・浪江で「希望」を掲げるというのは、背伸びしている面もある。だけどこの地で原発事故の被害を訴え続けることが、おれなりの抵抗運動なんだ。この牛は日本全国と全世界に再稼働阻止を訴える抗議のシンボルだ。
 3・11以降、渋谷駅前の街宣に40回くらい行った。「東京への電力供給のためにこんな目にあってしまった浪江の無念を考えてほしい」と訴え、希望の牧場へのカンパを呼びかける。聞きながら泣き出す人もいるし、カンパ箱に1万円札が入る時もある。
 全国の原発立地自治体でも浪江の現実を訴えて回っている。柏崎刈羽原発のゲート前でも「おれはチェルノブイリになっちまった浪江から来た。次はお前らの番だよ」とがんがん訴えてきた。告発し続けないと風化させられてしまう。だから東京でも全国でも宣伝カーで訴え続けるんだ。

 今年は再稼働をめぐる勝負の年だ。反対運動の実力が問われる。経産省前テントひろばもぶっつぶしにくるかもしれない。そういう時に、最終的には実力阻止という気構えを持って闘わなきゃいけない。被曝牛を生かして国と東電の責任を追及し続け、原発をなんとしてもなくす連帯運動をつくる。おれの人生にはもうそれしかない。
 今は世代も党派も越えて、一点、原発をなくすために広範な連帯運動をつくらなきゃいけない。おれたちの本気の行動によって道はつくられるし、希望は生まれると確信している。
 3月11日はおれも牛とともに福島市に駆けつけます。全国のみなさん、力を合わせましょう。

福島からの訴え!(53)

ふくしま合同労組委員長/福島市 市川潤子さん

 ふくしま合同労組では3・11後に新しく分会を立ち上げました。公営の介護老人保健施設が民間に委譲され、全員解雇・再雇用方式で基本給は2割カット。「労働組合が必要だ」と分会を結成しました。
 当初は、「まだ波風立てないで」という同僚の声に分会としても苦悩しました。でも労働条件の悪化やパワハラに嫌気がさし退職者が続出。分会の決断で組合全員で団交を始めました。夜勤手当を1回5千円のところ2千円しか支払ってこなかった契約違反を追及して、差額を1年半前までさかのぼって支払わせるなど、目に見える成果もかちとりました。50万円になった人もいます。
 団交の中で、管理職が職場の労働者代表になっていることもわかった。是正を約束させたが、会社には任せず組合員が「違法を許さず、労働者代表を自分たちで決めよう」と訴えた結果、分会長が労働者代表に選ばれました。まだ少数派の分会ですが、団交で闘う姿を見て、職場の仲間が信頼してくれた結果です。
 いま、労働契約法の改悪に合わせて「臨時職員雇用規程」に、「雇用通算期間は原則5年を超えることができない」という条項が入れられ、現場からは激しい怒りの声が上がっています。「非正規職撤廃」の決意に燃えて次の団交を構えているところです。
 3・11後の福島だからこそ「このご時世で雇用があるだけでもまし」という空気を突き破って闘っていきたい。職場で闘いを始めて、組合員自身が団結のすばらしさを実感した。行動を起こすほど経営側がボロを出し、労働者の怒りが倍化する。何よりも分会員が「職場に行くのが楽しい」ととても元気に闘っています。それが一番の感動です。

 私は福島市内の病院で働いています。原発事故直後は小さい子どもがいる看護師さんが避難していったけれど、最近、避難した人が福島に戻ってきている。母子避難の二重生活が経済的にも困難になり、「本当は帰りたくないけど、帰らざるを得ない」と言うんです。他方、結婚してこれから子どもも生まれるという世代が「これからのことを考えると福島では暮らせない」と言ってこれから避難していく。私たちの生活は今も原発事故で揺るがされています。
 職場は信夫(しのぶ)山のふもとでとりわけ線量が高い。事故直後は毎時20マイクロシーベルトもありました。病院は23万円もする線量計を買ったのに、計測結果を労働者に公表しない。同僚と一緒に「公表してほしい」と何度も申し入れに行ったけれど、「あなたたちは少数派。過敏になる必要はない」と拒み続けた。陰では「本当のことを知らせたらみんな辞めていくから知らせない」「除染は金がかかるからできない」と言っていた。ひどい話です。
 何度も申し入れた結果、貸し出すことを約束させ、同時に病院で測った線量も公表するようになったけれど、屋外7カ所の1カ月の平均値だけ。ホットスポットも明らかにしない。だから自分たちで測っています。
 今年1月には市が、病院のベビールームに通じる細い道を優先的な除染対象地区に指定した。除染の前日にその場所を測ったら、地表から10㌢で毎時5マイクロシーベルトありました。雨どいの下でたまっている。何カ所も測りましたが、去年と比べても線量は全然低くなっていない。職場の前にあるモニタリングポストの表示は毎時0・25マイクロぐらいですが、自分で測ったら0・5。私たちが車をとめている駐車場は0・9でした。
 福島の労働者はみな、そんな高線量のところで働いている。しかも多くの職場で線量を測ってもいない。原発で働く労働者も、屋外で働く労働者も、とんでもない被曝労働を毎日続けています。

 原発事故から2年近くたち、福島では「放射能を気にする方がおかしい」という空気があおられています。
 福島市の給食の米はこれまで会津産でしたが、「市産の米を使え」という農家の市議の圧力で4月からそうなってしまった。すごく心配している親や祖父母もいるけれど、「PTAで不安だと話したら冷たい対応をされた」とか「申し入れなんてやったら子どもがいじめられないか」という怖さもある。ある同僚は「なぜ命がけの思いをしなければ『放射能汚染が怖い』と言えないのか」と怒っていました。子どもの命がかかっていて、不安を持っている人はいっぱいいるのに、声を上げることが封じ込められているんです。
 今も原発から放射性物質は出続けているし、たまっている。「命より金」の社会を根本から変えなければ、自分たちも生きていけないし、若い人や子どもたちの未来もありません。
 私たちの世代で原発のない社会をなんとしても実現したい。それが一番の思いです。
 3月11日当日に「原発再稼働なんて許さない。フクシマの私たちはすごく怒っている」と声を上げたいと思って3・11反原発福島行動を呼びかけ、組合としても組織賛同しました。
 ぜひ全国から集まってください。

福島からの訴え!(52)

3・11反原発福島行動13呼びかけ人/川俣町 佐藤幸子さん

 2011年3月11日は広島・長崎につぐ3番目の原子爆弾が落とされた日です。私は11年の8・6広島、12年の8・6広島と8・9長崎に行きました。その日、広島と長崎に全国・全世界から多くの人が集まるのを見て「福島もこうしなければ」と思ってきた。だから「今年も3・11当日にどうしても行動を起こしたい」と思ったんです。
 先日、川俣町の自宅の除染作業がありました。「永久に住まないかもしれないから必要ない」と言ったんですが、町は枝を下ろし、草を刈り、木の葉を集め、袋に詰めて、家の目の前の「仮・仮・仮置き場」に置く。周りの山も、隣の家のかやぶき屋根もそのままなのに、それで「除染が終わった」と言う。除染とは単なる「移染」でしかないことは、県民は今やみんな知っています。
 県は「空中には放射性物質は飛んでないから、マスクもいらない」と言い、学校では屋外活動も制限されていません。
 ところが切り干し大根から1㌔あたり3000ベクレルの放射性セシウムが検出されたことを受けて県は昨秋、「加工過程で付着したちりが原因」と発表した。空中に放射性物質を含んだちりが飛んでいることを認めたんです。切り干し大根には放射性物質が付着するのに、子どもは大丈夫だというのでしょうか?
 健康被害は子どもたちだけではありません。高齢者の心筋梗塞(こうそく)が増え、元々持病があって亡くなる方も多いですね。
 先日、私と子どもの甲状腺検査をしました。子どもからは見つからなかったが私はのう胞と結節が一つずつありました。避難した日の違いだと思います。子どもたちは3月13日に山形市に避難させたが、私は17日まで川俣町にいて、雪が降った15日も仕事で外にいましたから。初期の対応が大切ということです。
 だけど事故直後は全情報が隠され、多くの県民は被曝のことなどまったくわからなかった。44%の子どもの甲状腺からのう胞や結節が見つかって多くの親が「あの日、子どもを水汲みに連れて行かなければ……」と苦しんでいます。

 今は「帰村」「帰還」の圧力がすごい。昨年末に県外に避難する人への助成金が打ち切られ、県外避難者が県内に戻る場合には家賃の補助を出すことが決まった。”県外に出るな。県内に戻ってこい”ということです。
 すぐに抗議に行きましたが、県側は「要望を持ってくるのはあなたがただけではないから」と言う。「『避難の助成を打ち切れ』という要望が出ているんですか」と聞いたら、「出ている」と。”復興のために県民の流出を防げ。福島第二原発を稼働させろ”と求めている人たちがいるんです。恐ろしいことです。
 その話を聞いて、広島で聞いた話を思い出しました。1950年代、米政府と読売新聞・正力松太郎らが”被爆者こそ原子力の平和利用の恩恵を受けるべき”と大宣伝し、広島の平和記念資料館で「原子力平和利用博覧会」を開いたそうです。”これこそ未来の夢のエネルギーだ”と。ビキニ事件をきっかけに原水爆反対運動がまき起こり、広島で初の原水爆禁止世界大会が開かれた直後の55年11~12月です。
 同じことがこれから福島で始まるということです。財界も政界も”原発の被害にあった福島こそ原子力エネルギーの恩恵を受けるべき”と動き始めるのでしょう。許せない思いでいっぱいです。
 子どもたちを放射能から守る福島ネットワークは今も放射線測定を続け、結果をホームページにアップしています。福島市渡利地区や桜の名所だった花見山、伊達市小国(おぐに)地区など、毎時1マイクロシーベルトを超えるホットスポットはいたるところにあります。

 子どもたちの健康被害はこれから現れてきます。避難・疎開、せめて保養をしなければならない。無意味な除染にかけるお金を子どもたちの避難・疎開、保養に使ってほしいと切に願います。
 私たちはこういう現実の中で生きています。2年たった福島の風景を見てほしいし、そこに住む人たちの話を聞いてほしい。3月11日、福島の地にぜひ来てください。

福島からの訴え!(51)

国労郡山工場支部/郡山市 橋本光一さん 

 国労郡山工場支部として3・11反原発福島行動に組織賛同することが決まりました。多くの組合員と一緒に参加できるよう頑張ります。
 昨年の3・11集会へ向けては、支部執行委員会で「2万人集まらなければおれたちはこの国の政府から捨てられる。10割動員で全員で行こう」と決めました。10割なんて異例のことです。さらに支部から国労の全国の地本に参加要請を送った。これも国労の常識から外れた「掟(おきて)破り」でした。
 組合員からは「2万人集まって何になる?」とか「集会で原発事故が収束するなら世話ねえよ」とか、いろんな声が出た。一生懸命説明したけれど、組合員は説明なんかで納得なんてしない。でも、文句を言いながら「動員だからしょうがねえな」と来るわけです。
 だけど来てみたら駅から、郡山ではあり得ない大渋滞。開成山球場に着いたら「こんなにぎやかな集会は見たことない。東京や大阪からも来てる。おお、国労も各地から来ている」。そうすると組合員が「おれたちは主催者。全国の国労に要請を発して、おれたちがこれだけ集めたんだ」とだんだん胸を張ってくるんです。「意味あるのかって言ってたの、あんたじゃねえ?」とか思ったけど(笑)。僕自身「組合員ってこれほど変わるのか」と感動しました。
 県内では原発反対派への圧力がすごくて、思い切り「原発反対」を叫んでいるのは表面的には少数派。だけど労働組合は反原発を組合員全体の闘いにできる。「しょうがねえな」と思って来た組合員が、集会に参加して意識ががーんと変革される。ここが労働組合のすばらしいところです。
 だから当然「また今年もやる」と思っていたのに、県平和フォーラムから3月23日の「原発のない福島を!県民大集会」の指示が下りてきて、「なぜ3月11日じゃないの?」とびっくり。そういう思いがあって、3・11福島行動への組織賛同を働きかけたんです。
 職場では外注化攻撃との闘いが焦点です。職場の門前でもビラを配って「外注化絶対反対」とがんがん訴えてきました。

 郡工は今では国労が少数派ですが、多数派の東労組組合員も元々は国労組合員で、国鉄分割・民営化の「3人に1人の首切り」の大攻撃を国労で一緒にくぐり抜けた労働者です。だから東労組の人にも「外注化で安全を揺るがせにしてはいけない」という訴えが響く。僕は下請け会社の労働者を含めて、郡工で働く650人全員を対象に訴えているつもりです。
 反合闘争というのは本来は単なる経済闘争ではない。動労千葉は「反合理化・運転保安確立」を掲げてきた。「安全」という資本の弱点をついて「合理化絶対反対」を貫くところが核心です。
 国労も含めて動労千葉以外の組合は「反合理化」を掲げても、例えば会社の10人配転提案に対して「5人にしてくれ」と交渉して妥結してきた。だけど合理化と安全の問題は1ミリたりとも譲ってはならないテーマです。検修職場の労働者の労働条件が切り下げられたら、安全な車両は出せない。鉄道ってボルト1本を締めなかっただけで脱線するかもしれないし、それで人が死ぬわけだから。「合理化絶対反対」を貫いて労働条件や生活を守り抜くことは、鉄道の安全を守ることに直結しています。
 郡山工場は国鉄の時代は仙台鉄道管理局の管轄ではなく本社工作局の直属組織で、採用も郡工の独自採用。国労郡工支部は支部独自で団交権も持っていた。そういう経緯もあって郡工支部は今でも国労仙台地本福島県支部の一分会にはならずに独立した支部です。組合員はいまだに「地本の単なる下部組織じゃない。おれたち郡工支部には歴史と伝統がある」というプライドを持っている。頼もしいものです。
 本来、職場における反合・運転保安闘争と1047名の解雇撤回闘争は、国鉄分割・民営化絶対反対を貫く一体の闘いです。だけど国労本部は1047名闘争と職場闘争を切り離してきた。「分割・民営化されちゃったのに、『JR復帰』を求め続けるやつらは邪魔だ」と本気で思ってきた。そこが全然違う。僕たちはあくまでも国鉄分割・民営化に絶対反対。職場の闘いと1047名闘争をともに闘っていきたいと思っています。

 労働者を本当に信頼しているのかどうか――これは労働運動の核心問題です。労働者ってやっぱり「群れてなんぼ」。文句もいっぱい言うけど、仲間と一緒にやりたいという気持ちも確固としてある。絶対に信頼できる。だけど今の国労本部の幹部は組合員を信用せず、極端に言えば「カネでしか動かない」と思っているんです。
 職場の同僚は家族の顔もそれぞれの生活も全部知っている。理屈だけでは済まない。だから家族のことで一緒に泣いたりもする。そういうことも全部ひっくるめて労働組合の団結なんです。
 僕には別にカリスマ性も何もないけど、本気になることはできる。3・11以降の闘いをとおして、とにかく前に転がるしかないと思いました。組合員にいっぱい文句を言われながら、不器用でも泥まみれになっても、だけどごろごろ前に向かって転がっていくしかない。格好悪くても失敗してもいい。「とにかく前に転がれば、足りないところは必ず誰かが補ってくれる。労働者ってそういうものだ」と周りの労働者を信用できるようになった。僕自身が本当に変わったところです。
 なんとしても3・11を成功させたいので、全国から集まってください

福島からの訴え!(50)

全国農民会議共同代表・酪農家/本宮市 鈴木光一郎さん

 あらためて感じることは、原発というのは本当にものすごいエネルギーを封じ込めてそれを一気に爆発させるものです。そんなものを発電に利用するというのは「死の行進」ですね。支配者たちはとんでもない危険性を知っていながらひた隠しにしていた。そして原発は、大地震が襲えばあっけなく壊れてしまうような古い装置であり、その程度の技術力に過ぎない。そんなものを頼りに資本主義は生き延びてきたのです。
 自民党は全然反省してない。ふざけた話です。徹底的に責任を取らせなければなりません。
 私は酪農家として、自分の仕事に誇りをもって取り組んでいます。労働者が自分の仕事に誇りをもつのと同様に、自分のつくった牛乳が皆さんに「おいしい」と言って喜んでもらえる、それが農民の喜びの神髄であり、そこに責任をもつのが農民だ。本当に安全でおいしい牛乳を届けることが、私たち酪農家の生きがいです。それは金には換えられない。だから低農薬・循環型の農業というのは当たり前のことなんですね。
 牛乳は大昔は薬として、あるいは生命力を高めるものとして珍重されました。秦の始皇帝もチーズにして病気を治すものとして愛用したと言われています。日本で一般的に普及するようになったのは戦後ですが、今では生活に欠かすことのできない存在です。
 私たちがこうして精魂込めてつくり、細心の注意を払ってみなさんに送り届けているものを、原発はいとも無造作に踏みにじった。本当に許すことはできない。
 酪農家にとって牛は家族同然の存在です。もちろん私は今でも、自分のところで搾った牛乳の安全性について、徹底的に厳しく管理しています。だが、原発に近い場所の多くの酪農家は3・11の時に、引き裂かれる思いで牛たちをつないだまま置いてきた。1カ月くらいあとで戻ってみたら、牛はみな死んでいた。死んだ牛を豚が食っていたところもあった。
 国はなんの対策もなく放ってきた。悲しみを怒りに変えて国と東電に絶対に責任を取らせる!

 国は今TPPを進めようとしているが、これをやられたら農業は破滅します。沖縄では農民は、風土・気候と一体化して暴風雨に耐えながらサトウキビづくりを守ってきた。それが貿易自由化ということで壁を取っ払われたら、はっきり言って全滅です。こんな農民切り捨てのTPPを認めるわけにいかない。財界は自分たちだけ生き延びればいいと思っているようだが、最後は彼ら自身も破滅する道です。
 三里塚で農民が土地を取られることの苦しみが、そして金を積まれても屈服せずに空港と闘い続けることの大事さが今、本当に分かります。
 私も三里塚闘争の初期から足を運んでいました。最近DVDになった「三里塚の夏」に福島反戦会議の旗がぱっと出るシーンがある。旗を持ってるのは私です(笑)。

 今はさまざまな情報が氾濫(はんらん)する時代だが、自分が判断するときに大事なものは実感です。三里塚の闘いの意義は、あの大地に立ってみなければ分からない。そこで人間、自分、すべての価値も見えてくる。
 福島も同じです。福島の現実は、「安全」「大丈夫」という情報でかき消され、真実が伝わっていない。ですから皆さん一人ひとりが3・11に福島の地を訪れて、この地に立って、そこに住んでいる人びとと対面し話して、自分の五感で感じ取り、見極めてほしいと思います。そうすることで皆さんそれぞれの闘いの方向性も見えてくるのではないでしょうか。
 福島の現実は大変厳しいものですが、今若手の人から「この地で放射能汚染と徹底的に闘いぬいて農業をやっていく。何十年かかろうとこの土地を取り戻したい」という声が上がっています。私はそのことに本当に自分が洗い流されるように感動し、自分もここで農民としてともに生き、闘い、行動するという気持ちを新たにしました。
 ぜひ皆さん、3・11福島に結集してください。

福島からの訴え!(49)

反原発福島行動'13呼びかけ人の訴え

郡山市 井上利男さん

 ふくしま集団疎開裁判の会は、11年6月に郡山の子どもたちの集団疎開を求めて裁判を起こしました。3・11直後の福島は、線量が最も高い時に情報が提供されず、放射能のプルーム(雲のような塊)が上空を通り過ぎた時も多くの市民が子どもを連れて屋外の給水所に並んでいました。
 さらに文科省は4月に通知を出し、年20㍉シーベルトもの被曝を子どもたちに押し付けた。法律では一般人の被曝許容限度は年1㍉シーベルト。放射線障害防止法は3カ月に1・3㍉シーベルト(=年5・2㍉シーベルト)以上を放射線管理区域として許可なき者の立ち入りを禁じているにもかかわらず、です。
 この国はまったく違法な行政措置を講じても平気な、大変恐ろしい国です。早くも11年5月に福島のお母さんらが文科省交渉に行きましたが、文科省も子どもを保護するつもりがまったくない。
 こんな人権侵害と健康破壊はどうしても許せない。僕は革命家でもなんでもないけど、アメリカの独立宣言も記したとおり、人民に敵対するこんな政府は打倒されるべきです。革命が必要です。
 こうした現実を打開するために集団疎開裁判が提起されました。しかし福島地裁郡山支部の決定は棄却。野田首相が原発事故の「収束」を宣言したのと同じ12月16日です。前日の15日には内閣官房「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ(WG)」が避難区域の設定基準を年20㍉シーベルトとする最終報告をまとめた。同WGの11月の会合ではICRP(国際放射線防護委員会)のジャック・ロシャール委員らが「緊急時から被曝継続状況への移行」を提言した。“事故は収束し緊急時は終わった。日常生活に戻れ”ということです。以降1年、避難区域の指定解除と再編が続き「復興」があおられています。
 仙台高裁の結論について予断は許されません。医学論文やチェルノブイリの例などの証拠を見据えたら、訴えた子どもたちの正義は明らか。しかしもし高裁が「子どもたちは疎開すべき」と認めたら、今の政治を全否定し革命的変化をもたらすことを意味しますから。裁判に勝っても負けても、子どもたちを救うためには市民の力が必要です。勝ち負けにかかわらず道を切り開いていくのは、行政にも裁判所にも頼らない市民の力です。
 現状はナチスドイツのホロコースト同様の事態です。ガス室も強制収容所もないけれど、何十万人もの人が巨大な放射線ルームの中に閉じ込められ、おびただしい健康被害を受けている。政府や行政には年1㍉シーベルト以下に抑える義務があるのに、福島県内ではいまだに年20㍉シーベルト基準が生きている。その中で屋外イベントに子どもたちがしょっちゅう動員されています。
 日本政府の背景には国際原子力ロビーがいる。IAEA(国際原子力機関)につながる学者の権力意識はYouTubeの動画「真実はどこに?―WHOとIAEA/放射能汚染を巡って」を見ただけでよくわかります。彼らは、重松逸造や山下俊一らがつくった計算モデルに基づき「甲状腺以外の健康被害はない」と主張し、それ以外の疫学調査はすべて「無知に基づくもの」と言うんです。
 衆院議員調査団が11年10月にウクライナなど3国を訪問して作成した報告書に添付された「チェルノブイリの長い影」というチェルノブイリ博物館からの持ち帰り資料を読めば、その本性がよくわかります。私のブログにもアップしたので見ていただきたい。事故による妊婦・子どもたちの疾患や遺伝学的影響がよくわかります。随所にICRPやIAEAへの批判も出てきます。
 昨年7月からは郡山駅前で県内初の金曜アクションを始めました。東京で首相官邸前に20万人が集まっているのに、県内で何もないのはおかしいと思ったからです。
 郡山でも放射能被害の問題の講演会には多くの人が集まります。多くの市民が不安を持っている。だけど行動を起こす人はさしあたり少数。医療界やメディアなどがすべて国や県の圧力下に置かれているからです。行動することを怖いと思っている人もいるからこそ、「怖くないよ」と訴え続け、圧力を打ち破る力をつくり出したい。
 行動とは特別なものではない。眠くなったら寝る。お腹が空いたら食べるのと同じ、日常にとけ込んだもの、自分の中からわき上がるものです。寒くても、始めた以上は責任がある。声を上げ続けようと思っています。
 広島は8月6日、長崎は8月9日、それぞれ毎年欠かさず核兵器廃絶と平和を祈念しています。
 同じく3月11日は永遠に原発廃絶と健やかに暮らせる未来を祈念すべき日です。
 福島の場合、大震災と津波だけでなく原発事故が複合しているから、政府も県もこの日を風化させようとする。それを許したら、原発事故の被害のすべてが歴史の闇に葬り去られてしまう。たった2年、被曝が今まさに進行しているさなかで風化が始まることほど恐ろしいことはありません。だから3月11日、「私たちは絶対に風化させません」という決意を込めて福島市で集会とデモをやります。
 この思いに全国からぜひ連帯してほしい。当日は月曜なので仕事のある人は大変でしょうが、休暇を取って集まってください。福島に来られない人も福島と連動して、前日の10日などにイベントを開催する場合でも3・11反原発福島行動13に連帯を表明してください。私もこれから連日、ツイッターやブログで呼びかけていきます。

福島からの訴え!(48)

 1月18日の官邸前の反原発金曜行動の発言から。

 19歳の女性
 郡山に住んでいたが、今は住めない。生活も人生も180度変わった。早く原発をやめてください。アジアの国などに原発を売るのはやめて。


 

福島からの訴え!(47)

郡山市在住・人見やよいさん

 IAEAは「福島は安全。人が住んでも大丈夫」ということを国際的に認めさせるために来る。IAEAも福島県も国も「福島の教訓を生かす」と言うが、福島の教訓とは核を世界から放棄するということにほかなりません。私たちは声を上げ続けます。
(※原子力安全に関する福島閣僚会議に対する抗議行動で)
プロフィール
動労千葉を支援する会・習志野  国鉄分割・民営化で解雇された動労千葉組合員の解雇撤回をかちとるために、2010年9月、千葉県習志野市で働く公務員労働者を中心に結成。①動労千葉争議団を支援するための物資販売、②宮城や福島などの被災地支援、③職場で労働者が胸を張って働けるように闘っています。          職場新聞『風雲』を発行。

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