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習志野と馬

※「産経新聞」から

習志野と馬 軍郷の歴史に欠かせぬ騎兵隊

 人と馬は、一緒に長い歴史を歩んできた。大きな戦いが繰り返された時代には、歴史的瞬間に馬が常に居合わせたといっても過言ではない。

 習志野市史などによると、平安中期、県内各地には朝廷への献上馬を産出する牧(まき)(牧場)があった。平将門は大吉牧(現船橋市)などの所領から優秀な馬を手に入れ、騎兵を組織。千葉氏や小田原北条氏は、現在の習志野などにあった牧を手中に収め、栄華を築いたとされる。江戸時代には、東習志野は下野牧と呼ばれる約80平方キロの広大な幕府直轄牧場となり、実籾など周囲の村が「野付(のつけ)村」として管理を担った。幕府に納める馬を捕まえる6、7月の野馬捕りは、見物人や出店でにぎわったという。

 こうした歴史を経て、明治5年に下野牧は陸軍の練兵場となった。翌年の演習で明治天皇が薩摩出身の篠原国幹を褒め、「篠原に見習え」と述べたことから、「習志野原」とこの地が名付けられた説は有名だ。

 34年には現在の習志野市大久保に日本初の騎兵旅団が創設。習志野高校の場所には、糧秣廠(りょうまつしょう)と呼ばれる軍馬が食べる草の倉庫が造られた。翌々年には騎兵第1旅団長に小説「坂の上の雲」でも有名な秋山好古が着任。日露戦争の勝因には、秋山が習志野で育て上げた騎兵の活躍が挙げられている。41年には鉄道連隊も設置され、「軍郷・習志野」として国の重要な戦略的拠点となっていった。

 大久保には、現在も日本騎兵発祥の地の面影がある。騎兵連隊の兵舎、碑などの史跡が残るほか、司令部があった八幡公園近くの大久保商店街の入り口ゲートには馬のイラストがある。同商店街協同組合理事長の三橋正文さん(72)によると、平成5年に「馬と歩んだ大久保の歴史を知ってもらいたいとの思いから描かれた」という。

 商店街では毎年「さくら祭り」を行っている。一昨年には日本大学生産工学部津田沼キャンパスの満開の桜の下で、商店街関係者らが明治時代の騎兵の扮装(ふんそう)をして来場者を楽しませた。結果的に販売には至らなかったものの、21年には習志野市商工会議所と千葉工業大学が、地域振興のため「馬サブレ」の商品化を目指した。

 現在は来年の市制施行60周年を控え、市がご当地キャラ(ゆるキャラ)を公募している(19日まで)。全国の並み居る強豪に負けぬ-とばかりに、歴史的な背景を踏まえた馬のキャラクターが誕生するのも面白いのではなかろうか。

 都心のベッドタウン、学園都市として姿を変えた習志野。馬は姿を消したが、共に歩んだ歴史は色あせない。(山本浩輔)
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プロフィール
動労千葉を支援する会・習志野  国鉄分割・民営化で解雇された動労千葉組合員の解雇撤回をかちとるために、2010年9月、千葉県習志野市で働く公務員労働者を中心に結成。①動労千葉争議団を支援するための物資販売、②宮城や福島などの被災地支援、③職場で労働者が胸を張って働けるように闘っています。          職場新聞『風雲』を発行。

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